11月11日ということで、先月、グリコ Twitter アカウント(@glico_PR)がこっそり展開していたポッキー誕生に関するツイートをまとめてみました。ちょっと長いですが、ポッキーまたはプリッツを片手にぜひ読んでみてください!

 

グリコさんは語る

グリコさんは語る

 

ポッキー誕生1】1960年代、チョコレート市場は板チョコ全盛の時代でした。各社とも何とか板チョコを制して、菓子業界でNO.1になろうと猛烈な新製品開発競争を繰り広げていました。

 

ポッキー誕生2】1960年代、チョコスナックという概念や考え方はなかったのですが、欧米では既にライトなチョコが人気で、日本でも次第に軽いチョコが求められるようになってきました。

 

ポッキー誕生3】1960年代、グリコではアーモンドチョコに続き、サンドチョコ、板チョコ、を次々と発売したのですが不発でした。

 

ポッキー誕生4】江崎グリコでは社業を立て直すべく、1964年から構造改革に着手しており、1品10年(ライフサイクル)、10億円(年間売り上げ)という開発基準を打ち出し、基幹製品の開発に取り組みました。

 

ポッキー誕生5】「他社の強力な商品とまともに競争してはならない。差別的優位性を持った製品を開発するのだ。今までの機械では作れないもの、技術者を困らせるようなものを考えよう!」という激が飛び続けました。

 

ポッキー誕生6】1964年に発売したバタープリッツがヒットして、市場を拡大しつつありました。子どもにも大人にも人気のあるスティック状の菓子は新しいタイプのスナックとして好評でした。

 

ポッキー誕生7】社内の誰もがプリッツのユニークな食べ方に着目し、いろいろな人が「プリッツにチョコレートをかけたら」と口にしていました。開発担当者たちもこれをスナックチョコとして製品化するため、色々と研究を進めました。

 

ポッキー誕生8】「プリッツにチョコレートをかけてみたら、テレビを見ながら、デートしながら、食べられる。“ながら族”をつかまえられるのでは」というのが最初の着想でした。

 

ポッキー誕生9】1960年代頃、プリッツにチョコレートのアイデアは、全体をチョコがけし、銀紙で包むという発想の域を出ていませんでした。誰もが手で持った時、チョコレートが溶けて手が汚れることを気にしました。

 

ポッキー誕生10】いろいろと智恵を絞ったあげく、プリッツ全体にチョコレートをかけなくてもいいのではないか、と思いつき6分目、7分目などとチョコレートをかけてみました。「持つとこあるな」。ポッキーの原型が誕生した瞬間です。

 

「持つとこあるな」

「持つとこあるな」

 

ポッキー誕生11】(プレッツェル全体にチョコレートをかけることをやめ)手で持つ部分は約 2cm とし、子供のおやつの適量から1箱40本入りで、パッケージは片手で持てるサイズとしました。

 

ポッキー誕生12】発売にあたり、プリッツにチョコレートをかけて、裸のまま袋に入れたのでは、チョコ同士がくっついてしまったり、擦れ合って汚れてしまう、という不安がありました。

 

ポッキー誕生13】試作品を営業車に載せて、大阪市内を走ってみると折れてしまうのでは?と心配したようなことはありませんでした。

 

ポッキー誕生14】苦労の末に作り上げた原型を開発会議に提案しましたが、社内の評価は低いものでした。

 

ポッキー誕生15】「板チョコに比べて味のレベルで負けている」「プリッツの系列品程度でしかない」「効率の良い機械化は無理」といった反対意見が続出します。

 

ポッキー誕生16】反対の声に負けず、何とか周囲を説得してテスト販売だけはやりたい。担当者たちは智恵をしぼり、1966年に試作品を限定された地域内の菓子店数十店だけで販売する方式を取ることにしました。

 

ポッキー誕生17】ポッキーの最初の名前はなんと「チョコテック」でした。

 

「チョコテック」パッケージ

「チョコテック」パッケージ

 

 

……以上、いいところですが、お話しは第17話のツイートで止まっています…。普段見慣れているポッキーも、紆余曲折して今の形ができあがったと思うと、なんだか感慨深いものがあります。いつもはポキポキポキポキ…とすごい速さで食べている人も、今日くらいは、1本1本、味わいながら食べてみてはいかがでしょう?

 

執筆:京都三条 糸屋のむすめ